「ここにもリバウンドに取り組んでいた医者がいたんだ」
ユウジンはシャツの襟元をゆるめて壁に寄りかかっている。だいぶ飲んでいるが正気の目をこちらにむける。
「エス市の話ね?」
「昔ながらの温泉湯治に医者が介入するやりかただ。彼は70歳でもう半分引退してたけど、患者のリバウンドを見てられなくてなんとかしようとした。やさしいおじいちゃん先生で患者に慕われていた。京都の事件以降SNS上にグループが立ち上がって全国から患者がいっきに増えた」
ユウジンはグラスのビールをのどに流し込んだ。
「入院病棟がすぐにいっぱいなって、市内のホテル、温泉旅館、ビジネスホテル、ラブホホテルが患者や家族で埋まった」
ユウジンはビールを自分でついでひといきであおった。
「そのへんでやめときゃよかったんだそのへんがで。温泉療法ですくなくとも気分が落ちついていく患者もいたんだ。すくなくとも、すくなくとも」
リタはユウジンの様子がおかしいことに気がついた。ろれつが回らないわけではない。酔いつぶれているわけではない。たぶん酔いたいのだ。
「役所が経済効果につられて支援を始めたんだ」
リタはみじかい溜息をはいた。そうくるよな。
ユウジンは頭を振った。
「ホームページ、SNS、ポスターやらなにやら。毎日駅に患者の一団が降りるようになった」
リタはこの話のゆくえが気に入らない気がした。
「駅やスーパーやコンビニが包帯に覆われた患者でいっぱいになった。住民が困惑しだした」
「おじいちゃん先生は寝ずに診察した。高齢をおして。周囲は止めたんだ、おれも止めた。でも途中でやめるような人じゃなかった」
リタはユウジンの物語りをとめることができない。
「急に涼しくなった9月の朝、おじいちゃん先生は診察室で倒れた。そのまま。葬式には包帯だらけの患者がたくさんきた」
「そのおじいちゃん先生の名前は教えてくれないの?」
「言いたくない」
「調べればすぐにわかるわ」
「勝手にしてくれ」
いまでは白いシャツのサラリーマン風の男たちが語気をあげている。ビールジョッキが触れ合う音、料理を注文する声、おかみさんの声。1日の仕事を終え今日を乗り切り仲間とあれこれを分かち合って、明日を迎えるまでのほんの少しの時間を過ごす健康な場。私とユウジンは知らなくてもいい事を掘り起こし、酔っ払っていつつむかむかした気持ちでいる。誇りを持って取り組んできたと思っていた仕事や技能が全く無力で陳腐なものに感じていてやりきれない。
ユウジンは壁に寄りかかったまま目を閉じている。むしょうにタバコが吸いたくなった。もう止めて5年ぐらいになる。
「ねえ、こういうときプロで大人は何をすればいいんだっけ?」
ユウジンは目をこちらに向けてぼーとしていたが言った。
「とりあえず酔っ払う」
リタは抱きつきたくなった。しなかった。
「このまま忘年会にしよ」
昔の話をしておおいに食べて飲んだ。やばいやばいまた好きになりそう。
2021.9

Chikilino / Pixabay