頼りにしていた医師の突然の死。あしたへの悲観。
駅で見かけた患者らはそれぞれの地元へ帰るところだったのだろうか。人は生き延びるために自分なりの希望が必要であるが、彼らはどこへいくのだろう。正月があけていつもの日常がはじまっていた。目覚まし時計、階段、改札、下水のにおい、無言の地下鉄、洋服箪笥のにおい、宙を舞う無数の視線、雑踏、会社のエレベーター。乱雑で愛着のある自分の机。リタはざっとした原稿をデスクに見せた。“医師を失う患者たち”
「ボツ」
「どうしてですか?」リタは言った。
「ボツだ」
「これは重大な医療問題です。自殺に追い込まれる患者はこれからも増えるかもしれないんですよ?」
「だったらなおさら完全にボツだ」
リタは予想通りの反応に自分が予想以上に腹が立っているのを感じた。オフィスの同僚たちは、正月早々あいつまた噛み付いてるよと自分のPCから目を離せないふりをきめこんでいる。リアルな現実と自分たちが書かなくてはいけない仕事的な現実を分けていたい。
1月も10日を過ぎているがオフィス全体がまだ二日酔いのよう。もう少しだらだらしていようよという現実に意図的に浸っている。ほんとうの現実に直面しているとうざがられる。
「売れる雑誌とはなんだ?いろはを言って見ろ」
デスクがつかれるやろうだぜという口元で言った。この誘導クエスチョンには引っかかりたくない。
「他人の失敗と不幸だろう?それで読者は安心したいんだろ?」
リタは返事をしなかった。
「誰も法を犯してねー、誰も悪くねー、犯人がいねー、出口がねー。救いがないんだ。だから安心しねー、癒されねー、これはほんとの不幸なんだよ」
「でも事実なんです」リタは言った。
「どうオチをつければいいんだよ読者は?」
「知る権利があります」
「やっぱ日本ってだめねーってか?そんなことがいろいろあるのは日本人みんな知ってんだけど知らずにいたいんだろ?正月早々どこにも出口もはけ口も希望もなくてどうするんだよ。こういうことはどっかの貧乏くじを引いたやつとかにまかせておけよ。少なくともうちらの出る幕じゃねえんだよ」
デスクはたばこに火をつけて椅子を回し窓に向かって煙をはいた。そこにはいつもの都心の灰色のビルの群れが連なっていた。グレーの厚い雲の下に経済活動というわかりやすい現実的な明かりがついている窓が点々と見えた。
リタはむかむかしていたがそれ以上に腹が立つことはデスクが言っていることは間違いじゃなくこの国の社会人としているためのまともな考え方であることが自分でも分かっている点だ。デスクがこちらに椅子の向きを変える前に自分の席にもどるような子供じみた抵抗をするのが精一杯で、はじめて明確に自分の仕事がいやになるのを感じた。酔っ払っていたユウジンの姿を思い出す。自分の書いた原稿をながめた。医者に通っていた患者らはいつのまにか依存症になっていた。薬を止めるとリバウンドを起こした。医者は薬を止めるなと言い続けるが、使い続けていても薬が効かなくなる。患者はすぐには死なないが学校へも行けない仕事にも行けない家族にも会えない。一般には良い薬があるから死なない病気だというプロパガンダが浸透している。だから現実に彼らは存在しないものとしてふたをされる。わらをもすがる患者をマーケットとするきわどい商品、サービスなどが彼らの気力をかすめとる。気骨のある一部の医療者らは限られた範囲でリバウンドと格闘するが疲弊し燃え尽きたおれる。患者は行き場もよりどころも希望も尊厳も失い現実的な医療モデルから孤立する。デスクの言う通り読者の期待する的なおちがない。正月休みを返上して(どうせ実家へ帰るぐらいしか予定はなかったが)書いたこの原稿は雑誌社の現実的な仕事とは認められず活字になることはない。できることは同僚たちのようにもう少し正月気分をキープして読者が読みたい現実を現実的に書くことだ。
そしてユウジンのように酔っ払う。
冷たそうな雨が高層ビルの窓を斜めに打っている。階下の道路には道行く人々の傘が小さくたくさん見える。それは動いている記号か映像デザインに見えた。仕事の悩みがあったり、お腹をすかせていたり、ロマンチックな企てがあったりと、ひとつひとつ命があるようには思えなかった。
「ふあふあパンケーキのお店完全マニュアル」の記事をかかなくてはいけない。さっさと書いて地下鉄に乗って家に帰り、風呂に入ってお気に入りのシャンプーで髪を洗って、監督が変わったサッカー日本代表のアジアカップ戦をビデオで見ながらビールを飲もうと考えてみた。
こういう側の現実は楽だなあと思ったが気分は晴れなかった。
2021.10

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