サクラが満開になるとまた一度ぐっと冷たい風がもどってくることがある。
二回目の春の嵐が北東に通過しようとしていた。サクラとみぞれを同時に見ることができた。メグロ川に粉雪のように花びらが散っているのが見える。新入社員歓迎お花見やらは来週に延期だろう。
ぼくは何にも属していないという社会に不参加で無価値のような感覚を抱いて春を迎えていた。習慣はすごいものだ。目覚ましをかけなくとも強迫的に朝起きてしまう。がばっと起きてシャツとネクタイを探しそうになるときもある。顔だけあらって目黒通りのデニーズへ行くのをとりあえずの習慣とすることにした。パンケーキを食べてコーヒーを飲むことが普通にできることにいちいち感動する。たぶんはじめて経験する人生のしあわせのひとつにあげてもいい。リバウンドのない朝はすばらしかったが違和感(ビサは必要のない罪悪感と言いはったが)やさざ波は続いていた。ぼくはこのような何も闘いのない日々を過ごすのが生まれてはじめてなのだ。
「問い合わせ」のメールはどれも深刻でリバウンドの苦闘を綴っていた。ドクターボノの治療についてもっと知りたい、実際ぼくにあって確かめたいというものが多かったが、中には激しくぼくを攻撃してくるものも少なくなかった。医者に『セラ』を止めたあなたが悪いのだという驚くべき無責任で勉強不足で鎖国的なガイドライン通りの言葉に深く傷つき、誰にも話すことができずひきこもってネット上に傾倒していることが容易に想像がついた。彼らは今たどり着いている治療(きわどい医療であれ民間療法であれ西洋医学であれ東洋医学であれ水治療であれ食事療法であれビタミン剤であれ祈りであれなんであれ)でぎりぎりのところで人間としての自分を保っていると想像がついた。
「結局薬物治療なのではないか!」
必要であれば適切な治療するのが現代医療ではないでしょうか?
「苦しんでいる人から金をとろうとして恥ずかしくないのか!」
なぜボランティアでなければいけない?
「アメリカの強い薬でおさえてもまたリバウンドになります!」
あなたはアメリカの専門医よりこの病気について知っているのですか?
ぼくは「問い合わせ」すべてに返信したが、誠実にメールを返信すればするほど彼らは自分のよりどころを否定されたように感じて逆上するのだと気がついた。自分がこれほど苦しみ抜いているのに誰かが簡単にアメリカ医療で完治したという事実はあってほしくない。それを受け入れてしまうと今たどり着きすがっている自分のすべてが否定された気持ちになるのだろう。それも無理のないことかもしれない。それほど医者と周囲にふたをされほんとうに孤立している。そうやって年末からずっと落ち込んだり怒ったり吐いたりビサに八つ当たりしながらホームページの更新を続けた。
とりあえずたどり着いたルールとしては売り込みメール(けんかやバトルや議論や誹謗や中傷やあらゆる勧誘を含めて)は削除するという方針だ。(それでほとんどが削除されることになったが)ぼくに会うことを希望していて住所氏名電話番号を記載しているメールだけに対応していくことにした。ぼくは躊躇したがビサの提案でその人たちから相談料のようなものをもらうことにした。滞納している家賃やらなにやらを早急に(実際は分割で)払う必要があったからだ。
ぼくは攻撃してくる多くのメールに傷つくけれど否定できない感じに苦しんだ。治るのならなんでも良いと思う。ぼくもほんの少し前なら誰かがアメリカの医療で治ったなんて事は認めたくなかったと思う。だっておかしいだろう?それならなぜ日本ではその治療をやってないんだ?
京都の医者に患者が殺到し警察沙汰になった事件が報道されたことがある。会社の資料室で女性誌をぱらぱら見ている時に偶然その医師を知った。彼は食事の改善をしならが独自の煎じ薬で治療をすると主張した。そして『セラ』の浸透性や強い依存性について警鐘を鳴らしていた。実のところぼくもその医者に診てもらおうと思っていた。その事件を○○◯ステーションで見た時は驚いた。そのテレビ報道がきっかけで「『ワイプ』」や『セラ』リバウンドについていろんなメディアが取り上げた。ぼくはむさぼるように情報を集めた。温泉療法、食事療法、運動療法、水治療、自然食品、断食、漢方薬、○○軟膏、アロエ、○○ポリス、○○○ニウムなどなど。それらを試す度に今度こそはと期待するが結果にひどく落ち込んだ。あきらかにいんちきとわかるものやカルトまがいなもの以外ほとんどぜんぶ試して、生も根も給料も使い果たした。夏のボーナスも全部使いきった頃、気がつくと新聞にもテレビにも『セラ』に関する記事がなくなっていた。ぴたりと。
スパムフィルターを潜り抜けてきた赤いフラグの着いたメールをクリックした。「あなたは日本では認可されていない強度の高いセラをつかっただけにすぎない。今にまたすぐにリバウンドが起こる。『ワイプ』を治すには人間本来の持つ力を信じる事が大事なのだ。あなたのやっていることは困っている人から金を取る卑劣なサギ行為だ」と書かれていた。無記名なフリーメール。さざなみがいっきに大きくなる。ビサにフィルターをもう少し調整してもらおう。ぼくが卑劣なサギであるとどうしてわかるのだろう?
暗くなった部屋でMacを終了する。春のにおいのする夜が来ていた。ざわざわする気持ちを流してしまいたかった。古いジャージに着替えてコマザワ公園まで走ることにした。走り出しはいつものようにあちこち痛くなり息が荒くなる。シャワーを浴びて最初の缶ビールのプリングを開ける音を思った。そのうち血流が落ち着き汗が流れリズムが整うはずなのがわかっていた。街道沿いにはいろいろな人々が走っていた。公園に入るとピンクのウインドブレーカーを着てヘアバンドをした女性とすれ違った。あのメールを送ってきた人だろうか?彼女の息ずかいがして、香水のにおいがした。彼女ではない。そう思った。まもなく川に飛び込んだように汗が流れてきたので大きな階段のある正面ゲートを折り返した。
シャワーを浴びて缶ビールを開けた。予想通り頼りになる。野菜ときのこと魚と肉と豆腐をざっくりと切って出来合いのダシとキムチを一つまみ入れたひとりちゃんこ鍋をおいしく食べた。
2021.10