入稿が終わってリタはオフィスの自分の机にいた。
金曜日の夜12時すぎ。まだダッシュで駅にいけば最終に乗れる事はわかっていたが、夕方に突然起こった写真の差し替えとそれにともなう原稿の差し替えで、出前でとったそばを食べる暇もなく、疲れてしばらくどうでもいい感じになっていてだらだらとウエブを見ていた。カメラマンと後輩2人も残っていて新しいクラブに行こうよと誘われたが「ちょーつかれたからやめとくわー」と手を振った。彼女たちは化粧をばっちしなおしてでかけていった。う~ん、わかいって罪だわ。ブックマークから『セラ』ポータルサイトを表示させてリンクをたどってみる。相変わらずすごいことになっている。闘病記、自殺までの経緯(途中で終わっている)、医師の糾弾(個人名付き)、あれが効くこれが効く情報多数。それらには誹謗や中傷、攻撃、自虐、絶望などがテキスト、画像、動画で表現されていた。ネットの匿名性が作用して炎上しているがそのエネルギーには行き場がなく双方が一方通行でただ痛めつけあっている気がした。何かを売りたいサイトにはそれがどれだけ貴重な情報でどれだけ治るのかを図解入りで書いていて、もしかしてと期待を抱かせるような経験者談的なコピーが踊っている。奇跡や抜群の効果や二度と無いチャンスや限定100個やこれが最後のチャンスなどのコピーをずっと読んでいると、患者ではない私でも現実的な検討や疑うことに麻痺してくる。それらを買わない自分がバカなのではと何がなんだかわからないような感覚になる。とりあえずだまされるほうが楽と思ってしまう。フォームに記入してクレジットカード決済をすればとにかく2~3日後に何であれ○○○効果で劇的に改善と称される商品が宅急便で届くのだろう。それを手にする事がとりあえず何かを信じてどこかの世界に繋がっているような感覚になるのかもしれない。次ぎの落胆までは生きてみる理由になる。
アメリカで研究対象として治療を受けたという男性のサイトに移動した。ブログにはたっぷり何年分かのリバウンド症状の詳細が書かれている。被害者感がなく静かなあきらめのようなものが文脈から感じられてひときわ異質。アメリカの研究者が行った検査や治療などが時系列に沿って画像とともに細かく更新されていた。宣伝にしてはなんとも不出来でたんたんとしていた。『アメリカにもミステイクの時代があったが現在ではリバウンドは存在しない』「どういうこと?」どうせタクシーで帰るのなら何時でもいっしょ。リタはざるそばのラップをはぎとって冷たくからまったそばをすすることにした。給湯室の冷蔵庫にはプロダクションからのお歳暮缶ビールもある。年末にこのサイトに取材依頼のメールを出したが返事がないままだった。リタは「問い合わせ」フォームからもう一度メールを書いた。エス市でのことも少し書いて取材と言うよりも個人的に話を聞きたいというように書いた。メール送信ボタンをおしたところで人の気配にぎくっとした。
「おまえなにやってんの?」顔を上げると男が真っ赤な顔をしてのぞきこんでいた。
「きゃー、デスクどうしたんですか?」
「接待。いま終わったんだけどさ、机の引き出しに家の鍵忘れてさ~。おまえこそどうしたんだよ?とっくに入稿おわったろう?」
とあらゆるアルコールが入り混じったにおいをさせながら言った。5時間前に見た時より老けてるように見えた。壁の時計が午前3時をまわっていた。
「いやっちょっと調べ物というか」
「まだ、あれ追ってんのか?」
「ははは・・・」
「仕事やってりゃ文句はないけどさー。まあそのたぐいはてきとーにしとけ悪いこと言わないからさ」
「はーい」
「金曜の夜に独身女子が会社で缶ビール飲んでる場合じゃないだろーえっ?愛し合えよ!」
いつもの微妙なおやじセクハラでむかついたが、深夜にオフィスに一人でいることに気がついてちょっと怖くなっていたので大人の男がいる事で少しほっとした。
「おれは愛の巣にかえるぞー愛の巣に!ドアのかぎ閉めてけよ、んじゃなー」
といって大あくびをして手を振って歩いて行った。
「はい、おつかれっさました~」
なーにが愛の巣だ離婚寸前のくせに。まあまあそのたぐいはてきとーにしとけは経験からの本音だろう。ばたんとドアが閉まるとよりいっそう誰もいないオフィスの静けさにもどった。となりのビルの窓も真っ暗で人の気配はない。リタは画面を見つめてそのむこうにある苦しみや苛立ちを思って溜息をついた。
私とおおぜいの他者。すくなくとも私は私でありたい。PCを落として、缶ビールとそばの器を給湯室にかたずけた。いま私がすることは自分のベッドで眠ることであると気がついた。
ひゃー夜があけちゃう。
2021.10