オンライン連載小説「リバウンド」

オンライン小説『リバウンド』-028 スタバで会う人々。

なんにせよ朝出かける場所があるということはいいことだ。何かに参加しているような気になる。
真新しいスーツを着た若い男女を見るのもいいことだ。エビスのスターバックスにジーンズで出かけることが新鮮に感じられた。朝はショートドリップで午後はココアを飲んだ。会う人は、ほとんどが『セラ』を止められずにいるか、リバウンドの真っ最中だった。彼ら彼女らはいまよりどころの「療法」に猛烈に倒錯していて生物学的危険状態(常軌を逸した偏食による体重の減少、生理の停止、危険な感染症、重篤なうつ状態など)にあったが、それらを受け入れて医学的な助けの必要を認めることを否定した。希望を否認することがこれ以上の苦しみから逃れるために必要な知恵なのだ。
ぼくもそうだった。発狂して失神することも許されないヒフの炎症と激痛。(発狂しても何も得られないと体験済みなのだ)感覚や感情から意識をそむけていないと人間でいられない。苦しすぎるのだ。身体感覚の否定や知覚の否定は心の奥底にマグマのように蓄積し噴出するチャンスを待っている。

小柄な男性に肩を抱きかかえられながらふらふらと小柄な女性がドアから入ってきた。見るからに痩せ過ぎで足元がおぼつかない。スタバのお客さん達はいっせいにちらっと見たがすぐに自分のスマホに目を移したりした。ぼくがゆっくり立ち上がると、父親(たぶん)がうなづいて席まできた。「あなたか?」
ぼくは名前を言った。
小柄な彼女(たぶん娘さん)は、ぐるりとつばのひろい帽子を深くかぶりレンズのおおきいサングラスをしていた。「こんにちは」と言いってやっとこさ足の高い椅子に座った。表情を伺うことはできないが、両方のほうがすり鉢のようにこけている。
「体から『セラ』の毒素を抜いて、浄化しているのです」と言った。
10年ほど『セラ』をつかっていたが、4ヶ月前に止めて絶食療法をはじめたと言った。父親は右手で髪をなおしかぶりを振って、ひどいリバウンドが続いているのだと言った。
「体から毒素を抜くために必要なのです」と彼女は言った。父親が自分のコーヒーと彼女のミネラルウオーターを持ってきた。彼女はそれを無視した。くちびるが黒く、ところどころたてにヒビ割れがあり血が滲んでいる。
「あなたは今どんな薬を使っているんですか?」
「何も使っていません」
「・・・うそです。アメリカの強い『セラ』を使っているんでしょう?誰かのブログにそう書いていました」
サングラスの奥に軽蔑のような目が見えた。
目の前にいる人間と言葉をかわし、疑いを持ちながらも時間を共有し共感や信頼を紡いでいくことより、ネット上の無記名なテキストを真に受けるのはどうしてなのだろうかとぼくは考えた。
「この病気は薬では治りません。人間本来が持つ自然治癒力を回復させなければいけないのです。それには江戸時代の食事にもどして体の中を根本的に浄化するしかないのです」と彼女はかれた声で言った。細い指を握り合わせている。祈っているようだ。父親はぼくに何か話したそうだったが彼女がそれを制した。「神の門戸はいつでも開いています」と言うとぼくにパンフレットを差し出した。大きな文字で彼女がさっき言った言葉が印刷されていた。ぼくは顔をあげて黙った。さざ波が大きな音を立てて崩れるはじめる。耐えた。いまでは店内に古いアメリカのロックをジャズアレンジしたギターが鳴っている。ちょっととってつけたような音がしたが、楽に行こうよとりあえずコーヒーでも飲めよと言った。ぼくはそれにならってコーヒーをひとくち飲んだ。彼女は顔をしかめてぼくを見た。しばらくすると、彼女はきたときと同じように父親に支えられながら店を出て行った。
自然治癒力を回復させるとは父親に支えられて歩くことなのだろうかと考えてみた。

2021.10

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