オンライン連載小説「リバウンド」

オンライン小説『リバウンド』-035 ユウジンの電話。

エビスのスタバで会った男の話しを記事にしたいが、医師のコメントが取れないことには掲載できず滅入っていた。
大きな塊が沈んでいる予感がするが、巧妙に隠されている。見つけようとすると、よせよ大人げない、いわなくてもわかるだろうという予定調和を押し付けられる。

今日は胃がむかむかしていたので、無理やり定時で帰宅することにした。どこにも寄らずまっすぐ自分の部屋に帰った。冷蔵庫にはレタスとキュウリしかなかったので塩をふってぱりぱりとかじって、インスタントの味噌汁を飲んだ。あの映像のあのシーンがあたまから離れない。テレビをつけっぱなしにしているがなんだかバカバカしく感じる。ほんとうのこととはあっけなくなまなましい。市販の胃薬2錠をミネラルウオーターで飲み込んでベッドにうつぶせになっていたらうつらうつらした。

ランドセルを背負って、広い木造の教室にいる。古くさい椅子と机が無造作に並んでいる。バケツに引っ掛けたぞうきんのにおいがした。どうしてわからないのとずっと怒っている。周囲の男の子と女の子は小さくあいまいな笑みを浮かべている。教室の外に大きなみぞがあると知っている。向こうにはいきたくても行けない。みぞは深くて暗い。のぞきこみたいような気がしている。どうしてわからないのといっしょうけんめい叫んでいる。人々がこちらを見ているのに気づいて席を立つ。ランドセルが重いのが気になっている。携帯が鳴った。遠くの世界から呼び戻された。口がからからに乾いていた。
「カバン受け取ったか?」
リタはなつかしい男の子の肩に触れたような気がした。ランドセルは何色だったっけ。
「うん、それよりどうしたの?」
「映像見た?」
「見た」
「デジタルハンディでちょっと撮っておこうとおもったんだ。偶然だ」
「あの男性は?」
「搬送先の病院で亡くなった」
「彼が医者ね?」
「よく知っている医者なんだ」低いノイズが声を際立てている。
「彼の手紙を持っているんだ」
「遺書ってこと?」
「・・・2人組みの男につけられてる」
「つけられてる?」
「会社を出てからからずっとだ」
「誰なの?」
「わからない」
「記事に書けないの?」
「今朝、会社で内示があった。この件は不幸なことではあるがすごくプライベートなことだから倫理に配慮して報道は当分控えるようにって」
「納得いかないわね」
「・・・どうしたらいいのかわからないんだ。それで、君に会おうと思ったんだ」
リタの胸騒ぎはあたっていた。おちゃらけユウジンではなかった。このあたりは彼の得意分野ではない。育ちの良い新聞記者が何かするフィールドではない。
「ねえ、なんて言っていいかわかんないけどつけられているんなら警察に行くのはどう?」
「警察は何かが起こるまで介入はしないだろ?」
ユウジンはまともだった。その通りだ。
「おれはあの映像をうやむやにしたくない」
「わたしもよ」
「・・・彼はほんとうによい医者だったんだ。『ワイプ』に真剣に取り組んでいたんだ。あんな風に死ぬべきではない」
リタは中途半端な返事ができなかったし、彼は気の効いた返事を求めていない。
「この手紙を君の会社宛に投函しておく」
「わかった」
リタの知らないユウジンだった。業界的ではなくおちゃらけてなく、意図がある。
「この件を記事にしたいんだ。うちの新聞じゃ無理だ」
「ねえ、その医者の名前はなんていうの?」
ノイズにまぎれた沈黙の後ユウジンが名前を言った。筒のおくから聞こえるような反響音が響いている。彼の実家が医者の家系だというのをやっと思い出した。バカねわたし。
ユウジンは、「たのむ」と言って通話を切った。

2021.12

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