オンライン連載小説「リバウンド」

オンライン小説『リバウンド』-036 リタの記事が掲載される。

リタは映像をデスクに見せた。
この手のものは週刊誌向きだし部数に直結する。しかし、医者のコメントが取れていない医療系記事は慎重にあつかわなくてはならない。あらゆる筋の地雷をかわす必要がある。老獪なデスクのアイディアで、まずは正面は避けて既存の記事に盛り付けるといういやみなテクにとどめることにした。おやじにはおやじらしい存在価値があるなあと感心する。
記事は20XX年9月の月曜日に載された。

「ビジネスマン自殺先進国!?」―当局の発表によると20XX年の我国の自殺者は4万人に達する見込みで、旧ソ連諸国を越す深刻な事態である。長引く市場の停滞と同時に物価上昇による閉塞感や所得の格差など将来への悲観が挙げられるが、個々の詳細な事情について統計を取ることは難しい。専門家は、世間の要請に応えなくてはいけないという強迫的な観念が職場や家庭、地域社会に蔓延している。それは個人の多様性を抑圧し、ヒステリーな社会にむかっているのではないかと述べている。本紙の調べでは『ワイプ』などの長期症状を苦にした自殺が急増している。一昔前は子供の疾患であったが思春期以降も難治化している例が増えている。特に成人患者の仕事や生活への支障は甚大である。その場しのぎの医療に挫折を余儀なくされた患者らが民間療法などに傾倒してさらなる悪化を招くケースが数多く報告されている。一方、海外での治療に希望を求める患者も少なくなく、体験者が支援窓口として活動している例もある。―

ビサは通勤途中のキオスクでその雑誌を見つけた。黄色の表紙に歪んだ顔をした男のイラストが目を引いた。女性の小さな水着やビジネスマンの成功をうたっているその他の雑誌の中で異質に見えた。
「ねえ、週刊誌見た?」ビサは興奮して早口だ。オフィスから電話している時はいつもそうだ。
「その記者と会ったよ」
「だいじょうぶかな?」ビサがめずらしく心配そうに言った。
ぼくはスタバでドーナツをかじりながらピッチに耳をあてていた。今日はシナモンだ。店内にストーンズの曲がかかっている。未発表曲を集めた復刻版らしい。若々しいミックジャガーの声はもしかしたらほんとにセクシーかも知れない。たぶん一発録りで、隙間だらけでスリリング。バンドサウンドとはこんなにも感情的なのだ。歌詞はBGMにはむかないかもしれないけど。ビサも何か飲んでいる。熱いマグカップにくちびるがふぅぅと振れる音が聞こえる。なんとなくうれしい。
「あなたのやっていることが目立つでしょ?」
「うむ、それは良い事のように聞こえるけど」
「ばかねこの世界は出る杭は打たれるのが基本でしょ?」
今日のクライアントがやってきてぼくの顔をたしかめるようにのぞきこんだ。彼女は会釈をしてカウンターにコーヒーを買いに行った。ぼくはまたねと通話を切った。ビサの心配はわかる。とてもまともな考えであることがわかる。いまぼくらのホームページはなんとか離陸した。ぼくは自分の体験をシェアしたい。それで少しお金をもらいたい。でも、この世界は目立つとつぶされると言ってるんだろう。でもでも、この世界とはどの世界なのだろう?ぼくはどこかの世界に喧嘩を売っているのだろうか?だいたいぼくは出る杭なのか?あたまが混乱してきたので、コーヒーをもう一杯買ってくることにした。
ぼくはある種の人間関係に親密さを持ち込みすぎる傾向がある。それは誤解やトラブルを生みやすく傷つくことが多い。サラリーマンの時はだいぶ苦しんだ。みんなが真実を求めているとは限らないし、みんながしあわせになろうとはしていないし、みんなが楽しく生きようとは思っていないと知った時には心底驚いた。ミックとキースはとっくにそんなことを知っててブルースを独自に解釈しようとしたのかも知れない。スカスカのギターとドラムとベースの音はとても個人的で瞬間的でぼくに何も求めてこなくて気分が良い。

向かいの席に座った女子はニット帽を目のすぐ上の辺りまでかぶりマスクをしていた。強い疑いの目。マスクの端に黄色の汁がにじんでいる。たぶん全身そうなのだろう。部屋を出る準備に何時間もかかったのだろうと思った。肩が小さく震えている。無理もない。体温調整が効かないのだ。ぼくに会いに来たということは自分に何が起こっているのかを知りたいのだろうと思った。
ゆっくり質問に応えた。

2022.1

 

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